ゆとり世代が考えるマネジメント

ゆとり世代のサラリーマンが世代間ギャップや新しい時代のマネジメントを考える

リーダーシップに恐怖は不要。「怒られないために何もしない」という逃げ道があるから

この間本屋にいって驚愕したのが、リーダーシップに関する本の多さだ。こういう本を「現場では通用しない」とか「方法論は役に立たない」と否定する方も結構いるけど、これらの本を読む意味は、天才的なリーダーが無意識でやっていることを言語化して理解することなんだろうなと思った。ので、僕が尊敬するリーダーや先輩の何が凄いのか、僕なりに分析してみた。結果、僕がついていきたいと思った人にはある共通点があった。

 

それは相手を信頼し、決して感情的に怒らないということだ。例えば、僕が半泣きでミスを報告した時、大笑いしながら「過去のことはしょうがない。お前なら次にどうするかを考えてもう同じミスはしないだろ」と言ってくれた方がいた。その方はミスや大事件の報告こそ笑って聞くので、トラブルや失敗の報告がすぐに情報共有される。結果的に恐怖政治よりもずっと、リスクマネジメントが成功した組織になっていた思う。

 

逆に、感情的に怒る人が上にいると、下は「怒られない方法」を模索するようになる。それでミスを隠すならまだいいが、最悪なのはミスを恐れてチャレンジしなくなったり、判断の基準が「怒られるか怒られないか」になってしまうことだ。

 

言葉を選ばずに言えば、恐怖で縛るより信頼で縛る方が人は動く。恐怖に対しては「怒られないために何もしない」という逃げ道がある。一方で、とても優しいリーダーでも”自分のことを信頼してくれている"と感じたら、"この人を失望させたくない"と思えるし、中途半端はできないと必死になる。少なくとも僕はそうだった。

 

 

若手のモチベーションは「今」「目に見える」メリットにある

今の20代って、小学生~高校生の時に明るいニュースをどのくらい聞いていたのだろうか。僕はそのころサッカーのニュースばかり観ていたけど、そんな僕でも鮮明に覚えているニュースはリーマンショックのニュースだ。当時は中学生になったばかりだったけど、朝も夜もニュースで経済への凄まじい打撃を伝え、サラリーマンにその苦しさをインタビューでしているのを観て、こども心に「日本は終わってしまうのではないか」「うちの親父はクビにならないだろうか」とか考えたものだった。

 

僕の思い出話はさておき、時代の変化はより激しく/より短サイクルになっている。一寸先は闇とはよく言ったもので、リーマンショックやCOVID-19のパンデミックといったものが突然社会を大きく変化させたり、スマートフォンがたった数年で人々の生活を一変させるのを、今20代の世代は生で見てきた

 

「未来はちょっとしたことですぐに変わってしまう」のを肌で感じてきたからかもしれないが、未来よりも今を大切にする方が若い世代には多いと感じる。若い人の仕事のモチベーションになるのは、「将来のキャリアプランといった抽象的な未来の話ではなく、「成果が評価されて給料が上がる」といった「今、目に見える、具体的な」メリットなのだ。(もちろん全員がではないが)

 

こう書くと、「若い人はすぐに金を欲しがるのか」と批判されるかもしれないが、実は若い人の求める「今、目に見える、具体的なメリット」は意外と単純なことが多い。例えば、「自分が頑張ってるのを見て、偉い人が声をかけてくれた」とか「頑張ってたら"ありがとう"と言ってくれた」とか「え?それでいいの?」というくらい単純なことがモチベーションにつながった若い方を僕はたくさん見てきた。

 

あるいは未来の話をするなら”具体的”な話をするべきだ。僕の場合、「君のキャリアに絶対に役に立つから、何か資格とりなよ」と言われた時より、「この資格をとれば、統計学の知識が身について、お客様アンケートの結果を分析する時や、将来の需要を予測したい時に役立つよ」と言われた時の方が、「じゃあ勉強してみるか」と思えて資格勉強をすることを始めた。

 

 

「仕事への好奇心を持たせる」ことは難しい、じゃあどうするか

ある会議の場で、「若手社員が仕事にもっと好奇心や興味を持ってもらえるように、上司と語り合う機会を増やしましょう」という言葉を実際に聞いたことがある。もちろん、その熱意を否定はしないがこの言葉にはある大きな間違いがある。

 

それは、「他人の心を変えようとしている」点である。ドライな言い方になるかもしれないが、ある人が別の人の心や考え方をを意図的に変えるのは相当難しい

 

例えば、心理学やメンタルヘルスの世界でよく言われる言葉に、「他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる」という言葉がある。僕もそうなんだけど、人の目を気にしすぎてしまう場合に、”他人の自分に対する感情を操ろうとしても難しいからそこに熱量を割くのではなく、自分のとらえ方/受け止め方を変える方に集中しよう”という考え方で、僕もこの言葉には救われた記憶がある。

 

これと同じことが冒頭のセリフにも言えて、若手(=他人)に「好奇心を持ってもらう」のは相当難しい。もっと身近な例でいうと、ピーマンが嫌いな子どもに「ピーマンはおいしいから」と言って無理やり食べさせるのと同じ。僕にも経験があるけど、それでピーマン好きはなれなかった。

 

僕は、「好奇心を持たせる」ことよりも「その人が持った好奇心を育てる/探求心に変える」ことの方がよいと考える。好奇心0を好奇心1にすることは難しいが、好奇心1を好奇心100にする環境を整えてあげることはできる。

 

僕の場合、「仕事に好奇心を持て」と言われても「どうやって?」となってそこで終わってしまった。一方で、「なんでこんな効率悪いことしてるの?」と愚痴ったときに、「じゃあ、お前の好きなやり方に改善してみな」と先輩に言われて始めた改善の仕事は、基本モチベーションが低い自分でも熱量をもって取り組むことができた。

 

そもそも、好奇心が無い人間なんてまずいない。もちろん自己主張が激しいかそうでないかによって好奇心が見える見えないは変わるし、若手と呼ばれる世代に自己主張の控え目な方が増えているのも否定はしない。でも、そういった方でも好奇心や疑問が「ない」わけではなく「見えにくい」だけなので、時々ぽろっと出てくる本音や愚痴をキャッチしてあげることが、好奇心を膨らませたり/仕事の面白さをつかむきっかけになる。自分から発した疑問を上司や先輩がキャッチしてくれることは、想像以上にモチベーションになるのだ。

 

 

 

 

 

ジェネレーションギャップは感情論では解決しない

僕と同年代の若手を「ゆとり」と呼ぶおじさんや、おじさん世代を「時代遅れ」と呼んでいる若手社員をしばしば目にする。僕は幸い先輩や上司に恵まれたと思っているけど、すぐにハラスメントになるこの時代、上司の方が若手との接し方に困ってるのもよく見かけた。

 

世代間ギャップの問題は昔からあるものだし、簡単に解決はしないんだろうけど、ひとつだけ気になることがある。それは「感情論」で解決しようとする人があまりに多いということだ。

 

「若手の気持ちに寄り添おう」「コミュニケーションを大事にしよう」「何でも話せる空気をつくろう」こんな標語をよく見るけど、具体的に「どういう気持ちに寄り添うのか」「どういうコミュニケーションをとるのか」「何でも話せる空気ってどんな状態か」がきちんと議論されていない(あるいは人事部では議論されているが現場に伝わっていない)

 

一番危険なのは、こういった標語を作ったり喧伝することでジェネレーションギャップについて「考えたつもり」「解決したつもり」になってしまうことだ。

 

せっかく歩み寄る気持ちがあるのに、これではもったいない。だから、いち若手社員として、ジェネレーションギャップの原因や解決方法について日々感じていることをできるだけ具体的かつ論理的に語っていこうと思う。